海野光弘版画記念館
(設計監理/柴田彰建築設計事務所)
中庭と槙の巨木(写真 斎部功)
版画家海野光弘氏は1939年に静岡市の新富町の染物屋に生まれました。中学時代から木版画を始め 静岡商業を出たあとも 昼は家業の染め物職人として働き 夜は遅くまで作品の制作に没頭する毎日でした。仕事が比較的ひまになる夏には、全国各地にスケッチ旅行に出かけ。日本の風景を版画に残しています 旧い民家や四季の田園風景を独自の陰刻と言われる黒の色から明るい色へと刷り上げて行く技法で多くの作品を残していますが、79年9月鹿児島でスケッチを終えて作品にする途中に39才の若さで急逝されました。代表作「縁通し」はスイスの美術賞展で優秀賞を受賞したほか、スイスプティパレ美術館、シカゴ美術館、浜松美術館等に作品が所蔵されています。残された作品は光弘さんの一番の理解者であり同士でもあった奥さんの花告枝さんが大事に散逸することなく保管されてきました。
島田市は旧東海道島田宿の大井川川越遺跡の一角に有る110年程たった民家の旧桜井邸を譲り受け、整備し有効に活用しようとする時機に、私がちょうどその仕事に関わることになり、改修の為の基礎調査で旧桜井邸の座敷きで実測していたところ、座敷きから庭を見た景色が、まさに海野光弘さんの版画「縁通し」の世界が再現されていました。海野版画をここで展示したら旧桜井邸にも版画にも最高の舞台に成るだろうと直感しましたので。早速、静岡に帰って花告枝さんに此の事を話したところ、彼女も最近光弘氏のすべての作品を誰でも、いつでも、見られる環境に置きたいと考えていたところで、以前島田博物館主催での大きな回顧展以来何かと縁の深く愛着が有る島田の土地ならと、ぜひ進めてほしい旨回答をいただきました。早速代理として島田市側に提案した結果 島田市の全面的な協力を得ることが出来ました。また岩村島田市長も海野版画の愛好者であったことも有り 昨年の2月18日に全作品400点が花告枝さんから島田市に寄贈され 島田市の博物館分館「海野光弘版画記念館」として正式に計画が始まりました。
この施設は旧桜井邸を改修した棟と今回裏側に建設した新設棟の2棟が、中庭の中心にそびえる御神木の様な槙(まき)木を回廊で取り囲む様に配置されています。
旧桜井邸は正面の玄関から2階屋根まで葺き上げた瓦の大屋根が特徴の立派な構えの町屋です、改修では外観はそのままに、瓦を葺き替えたり、外壁の杉板を張替えたりしています。内部を見ると1階は島田の地の材料で地元の大工さんが伝統的な工法で骨太に作っていますが 茶室のある2階は京都の大工さんの造りで数寄屋ふうな繊細な造りになっています。旧桜井邸では市民から提供された貴重な民俗資料の展示を見ながら土間の有る民家を体験ができる事と、和風空間に展示した海野光弘氏の版画を畳に座りながらゆったりと鑑賞する事が出来ます。
新設棟は海野版画の特徴である陰刻の黒と余白の白を設計のキーワードとし 110年の時代を経た旧桜井邸を黒とすると新設する棟を白のイメージで設計しました。新設棟ではなるべく自然な材料を使い、公共建築にありがちなピカピカした材料は極力さけて、木漏れ日がさらさらと壁に落ちるような雰囲気の空間作りを目指しています。
その他にも、江戸時代にタイムスリップしたような大井川川越遺跡 旧桜井邸の土間と黒光りしている小屋組 槙の巨木と緑の中庭と回廊 水路と池と和風庭園等いろいろな楽しみが盛り沢山あります。
海野版画を見た時、人々が感動するのは、激動の60〜70年代にかけて、時代に対してまっすぐに向かい合って制作していった海野さんの苦悩や喜びや人間愛を版画から直接感じ取れるからです。海野さんのエネルギーは今でも燃え尽きる事なく花告枝さんを動かし私を動かし島田市を動かし、そして、人々に感動を与える海野光弘版画記念館の完成を見ました。
静岡新聞(文/柴田彰)より
|